院試におちたなら きっと

目にうつる すべてのことは メッセージ...


皆さんこんばんわ。お盆明け、いかがお過ごしでしょうか。

というわけで、とうとう23日に院試が迫った。僕はデザイン史を含む科目を選択しているので、じゃあやっぱりバウハウスを論じる*1にあたって、「ナチス」や「ユダヤ人」のキーワードは外せないだろうとか思い(詰め)、NHKの連続5回シリーズ『アウシュビッツ』を、に、をば、かぶりつきながら見た。見倒した。充血した。これは安易である。たとえばもし、「日本の戦後思想について所感を述べよ」なんて試験問題がでたとしたら*2、先週見たばかりの戦後60年特番から得た知識をフル稼働し、「中村獅童小野田少尉はまこと見事にハマり役であった!」等と、堂々とした御論説を書き上げる果てしない度量が君にはあるだろうか。そう、これは勢いに関する諸問題のことである。以下に続く。

で、得たモノはなんだろう。そりゃアシュケナージシオニズムパレスチナイスラエルあたり、「ユダヤ人」のことについてこれから真剣に取り組む際のキーワード(手がかり)は見つけられたかもしれない。が、今はこれを追いかけている場合では断じてないのだ。院試対策の観点では益無しどころか損害だ。それ以上に、「これでいいんだ」となにやら満足気な笑みを浮かべている僕の精神が常に最も危険で有害な存在であり、カンディンスキーの言葉を借りれば「対立と矛盾のハーモニー」とでも謂ふべきものなのだ(?)。

で、得たモノはなんだろう。今度は故・九州芸術工科大学のことを言っているのだ。バウハウス三代目学長のミース・ファン・デル・ ローエは、バウハウスのことを「ひとつの理念」であったと言ったそうではないか。わかりやすく翻訳すると、「ひとつの」という数詞は「単数の」という意味もあって、違和感なく「単なる」という明快な日本語の摘出が可能となる。ということはつまり「芸術工学(技術の人間化)とは単なる理想論であった!」という結論が、まことしやかに導かれるのである。我ながら悪しき引用である。

一軒でもいい、僕は家を建てるため院へ進むという決意をしたのだ。それから大事な点は、僕はいつも逆のことを言っているということだ。忘れてはいけない。およそ敗戦ムードは濃厚である。

では普通の日記を書こう。今日は歯医者に行った。見事なフライングだ。22日の予約をてっきり20日だと思いこんでいて、熱帯に降るスコールのような雨の最中、僕は歯医者をめざし下界へと降り立ったのだ。持ち出した傘は見事に根元から折れていた。天は粋な演出をやってくれたものだ。そんな事情などつゆ知らず、歯科衛生士のお姉さんはただにっこり笑って、「どうぞ」とずぶ濡れの僕を中に招き入れてくれた。卑猥に聞こえる。今日は歯に穴が開いた。

ですので、院試の朝はやさしい気持ちで目覚めることにします。

  小さい頃は 神様がいて 不思議に夢を かなえてくれた
  やさしい気持ちで 目覚めた朝は 大人になっても 奇蹟は起こるよ

  カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の やさしさに包まれたなら きっと
  目に写る全てのことは メッセージ

ミスリム

ミスリム

やさしさに包まれたなら*3より

*1:日本のグロピウス(ゲではない)ならぬ小池新二初代学長が創立したバウハウスモデルの我が校であるので、毎年出題しないわけにはいかないらしい。

*2:こんな笊な問題はまず出ない

*3:アナログ盤『ミスリム』持ってます。叔父からのもらいもので、自慢の品です。