兄弟喧嘩のエシックス

数年ぶりになるだろう。普段口も聞かない我が弟と口喧嘩をしたのだ。白熱である。それは相容れない価値観のぶつかり合いであり、その円満な政治的解決たるや、まこと困難を要する。兄と弟、信心を異にする隣接小国同士の紛争が、如何に解決し難きアンチノミーであるか。この身をもって実感した。


はじめに

変な誤読とあらぬ反感を避けるためあえて断っておくが、私は人格者であるという自負もないし、寛容さを持った世間一般の長男像を持ち合わせるような人物でもない。むしろ人格に何らかの問題があるかもしれない。しかし、「兄貴なんだから」とか「それは心が狭いね」とかいうクレームは、ある面では受け入れるべきかもしれないが、今回に関して、そのような類のくだらない上っ面ばかりの茶々は、一切受け付けないつもりでいる。意図があって、あえてこのような書き方をしているつもりだ。いっそのこと、これが兄弟喧嘩であるという前置きすら忘れて、さらに願わくば、読者諸賢の内在的批判をもって、善悪を見定め、論理的解決の糸口を探って欲しい。

もし弟がこれを見たら、一方の主張に偏った意図的な図式の簡略化だと思うかもしれないが、ままに記すと、少々複雑な事情である上、プライベートすぎる話題にもなるので、私が本質的であると判断した部分からのみ抽象しながら、ここにその事件の概要と、そこで行われた兄弟それぞれの倫理的判断の詳細を記すことにする。

いつもながら、相手を信用できず、自分すら信用できず、ついつい不安になって説明的になりすぎるのが私の悪いところだ。凡人たる由縁である。


アイスクリーム紛争

ある夜、兄はアイスクリームを買い、これを後の楽しみとして冷凍庫にしまっておいた。しかしその数時間後、それを弟に食べられてしまう。そのことに腹を立てた兄は、弟のアイスクリームを食べてしまう。報復攻撃を仕掛けたのである。これによって弟も兄にアイスを食べられたことに腹を立てる。兄弟の意見が対立する。

弟「兄のアイスだとは知らずに食べた。そのことは謝罪する。しかし、兄が自分のアイスを食べたことは許せない。報復攻撃は非人道的行為である。たしかにこちらにも非があったが、兄にもそれと同等の非があるはずである。やもすると、故意でやったことについては自分以上だとも言える。謝罪を要求する。」

兄「謝罪はしない。アイスを断りもなく勝手に食べられたことに対して、こちらが同等の被害を与えたことで、ここで両者はイーブンである。すでに問題は解決されたと判断した。そちらが謝罪する必要は全くないし、むしろ謝罪されても困惑するだけだ。謝罪はしない。」

弟「両者の謝罪がなければ、この先今回のことについてしこりが残ったままである。このままでは自分は釈然としない。謝罪を要求する。」

兄「自分にとって謝罪に価値を感じないし、自分が謝罪する必要性も感じない。謝罪はしない。まだ何か不満があるのなら、今後このようなことが二度と起こらないよう、冷凍庫や冷蔵庫のデザートについて細心の注意を払って欲しい。このまま過去のことで無益に言い争うより、今後のことについて建設的な意見を交わすことの方が両者にとって有益ではないか。」

弟「いや、謝罪は自分にとって重要だ。これでは話にならない。話はこれで打ち切らせてもらう。」

兄「打ち切りは不当だ。価値観の違いにかかわらず、コミュニケーションの一方的拒絶は悪ではないか。具体的な策を講じないまま話し合いを打ち切ってしまっては、今後同じようなことが繰り返される危険性が十分にあると思わないか。続行を要求する。」

弟「ならば、まずそちらの謝罪を終えてからだ。簡単なことだろう。」

兄「断固謝罪はしない。謝罪すること自体は簡単だが、それをしてしまえば完全にそちらの要求を呑んだことになってしまう。こちらの立場がなくなる。このまま対等な関係を保ちたい。」

弟「では話を打ち切らせてもらう。無益な時間を過ごしてしまった。」


その後とおわりに

感情に価値をおく経済学部の弟。損益に価値をおく芸術工学部の兄。字句通り心ない兄だと思われるだろう。しかし少なくとも、実際には矛盾していた弟の主張の要旨を尊重しながら、ここまで論点整理してあげたことは、私なりの「兄貴らしさ」だったとしておく。しかも最後は、兄「たまりかねて謝罪」→弟「誠意を感じない」のループという顛末であったが、そんなことはこの日記にとってどうでもいい。

現実問題の中で倫理的に正しい判断を下すことの難しさを感じるとともに*1、この程度の口喧嘩でこれだけの量の文章を生み出すことのできる我が家の兄弟間交流の希薄さが浮き彫りにされた、個人的に大変興味深い事件であった。

*1:たしかに弟の言う意味での非はどちらにもある。どんな場合も、相手の非をもって、自分の非を正当化することは全く正しくない。が、ここではそれが争点ではない。当然だが、物質的損害と精神的損害への対処は全く性質の異なるものだ。