ジーザス・クライシス

題の通り(Jesus Christではありません)、現在かなり危機的局面を迎えてます。大学院の願書申し込み、提出期限は今日から今週の金曜16時までとなっているわけですが、必要な書類を何一つ準備していないことに気がつきましたとです。のんきに携帯いじくりまわして遊んだり、日記を書いとる暇なんて全くなかとです。

気づいたのは一昨日、土曜の夜のことです。ふと願書そろそろ準備しなきゃとか思って、募集要項を見ると、なに成績証明書やら卒業証明書が必要じゃないの…と。土曜日、日曜日は大学の事務はお休みだから月曜だったらギリギリか?と思いきや月曜は祝日!こんなときに限って祝日!祝日のせいで寿命が縮まるとは、天の思し召しか。調べてみたら発行に約二日かかるらしい。火曜朝一番(今から数時間後)に申請に行って、早くて水曜、遅くて金曜日のギリギリかもしれません。これで大学院行き損ねたら笑いものです。そのときは皆さん笑ってやってください。昨日ばかりは、何でもギリギリになって行動を起こす自分を呪いました。胃が痛くなりそうでしたが、今日は半日以上寝倒したのでもう大丈夫です。きっとなるようになることでしょう。

それはいいとして、最近おもしろいと思ったサイトをひとつ紹介。

オカルト/似非科学 ─懐疑的精神

SkepDic “二千年紀のための懐疑論ガイド”
http://www.genpaku.org/skepticj/
上は玄白プロジェクトで一部翻訳された日本語版ですが、本家はこちら。
http://www.skepdic.com/

オカルト、疑似科学、超常現象など、世に蔓延るインチキ臭い話を、懐疑的な視点から定義、解説を行った事典。バーナム効果、ガルの骨相学など。オッカムの剃刀の誤用例も載っていておもしろい。

僕個人、オカルトや疑似科学の類に対して全く否定的というわけではない。占星術数秘術錬金術、天使/悪魔、それから古事記(!)…と、そこらへんは大好物。神秘的であることはなによりだ。小さい頃は、心霊写真とかU.F.O.とか神話とかが大好きなオカルト少年だった。当時、矢追純一や心霊現象の番組にはかじりついて必死に見ていた*1。今でも、何かについて考えを巡らせるとき、それらのアナロジーはとても示唆に富んでいて、面白いアイデアをもらえることが多々ある。もちろん、SkepDicのように、懐疑的な視点で見てみることで、反面教師、自己批判材料としての有効活用も可能だろう。

助手のI氏に研究の相談に行ったとき聞かされた小話を思い出した。有名らしい、たしかにどこかで聞いたことがあるような話──ノミの研究をしていた生物学者が、ノミに「跳べ」と命令すると、命令通りジャンプするよう芸を仕込んだそうだ。そこで次に彼は、芸を仕込んだノミを使って、後ろ足が切除されたノミのグループと、そうでないノミのグループを用意した。それぞれに「跳べ」と命令したときの、両群の反応を比較したわけだ。彼はこの実験で、後ろ足を切除したノミの群だけが命令しても跳ばなくなることを発見し、こう結論した。「ノミは後ろ足を切除すると耳が聞こえなくなる。」──バカバカしいようだが、似たようなことが、僕らの身近*2に起こってもおかしくない。科学とはいえ、このような判断を(真面目な顔で)下す危険性はいつでも付きまとうという、全くもっておそろしい話なのだ。

「間違った」科学、「正しい」科学。しかしそんな専門家たちの規範は、僕ら一般大衆にたいして影響しない。仮説と検証による、反証可能性を備えた真っ当な科学も、速読で右脳開発とかいうインチキ科学も、根底には、僕らをワクワクさせる同種の何かを持っている。また、天気予報で雨だと言われれば傘を用意するように、科学的予測に従う現代人も、卑弥呼の占いに従う古代人も、それら「預言」を信じて明日へと身を投じる僕らの心は、本質的には何も変わっていない。

*1:心霊写真、こっくりさん、花子さん、お菊人形、スプーン曲げ、ノストラダムスサイババ、カッパ、ツチノコと、思い出せば楽しかったあの頃、ぼくたちは想像力たくましく、色彩豊かな毎日を生きていた。

*2:N間K学の人達とか特に