一ヶ月も日記さぼってたよ

 やっぱり僕には日記なんて向いてないのかな。勢いついたときだけわーっと書くけど、失速したらもう終わり。性格といえば性格だけど、なんとも情けない。芸工大生のアイデンティティも書きかけで止まってる。これはもう少し勉強してきちんと書こうと思って、いくつか本を借りて読んだりしたんだけど、それでも手つかずで止まったまま。他の総合大学にない、芸工大生の特殊なアイデンティティの性質を見極めるのは難しい。キャンパスを切り口に行きたかったんだけども。せっかくコメントいただいたKIDさんにはホント申し訳ない。あ、でもちゃんと書くには書きますよ。いつか近いうち…。

 というわけで、おばあちゃんの家に遊びに行くたびに日記を書くという習性によって、また一ヶ月ぶりに日記を書いてみる。日記というか、以前の日記でも少し触れた、おばあちゃんが新聞に投稿していた文章、それをここに書き写すだけです。おととい、記事のコピーを仕入れてきました。さっそく思い出をデジタル化。他にもいくつかあるんだけど、今日はそのなかの一つ、僕の幼少期について、当時60歳の祖母が綴ったエピソードを。

昭和62年12月12日、フクニチ新聞の“小窓”という読者投稿欄に掲載されたもの。僕はこれが一番好きです。(自分のエピソードだし)

分かんない博多弁があったら聞いてください。ではどうぞ。

ロウソクの花

 「こらー!またわるそうしよる。そげん言うこときかんやったら、バアちゃん天国行くバイ」大声一喝。
 「バアちゃん、どげんして天国行くと?」
 「バアちゃんの背中から羽がはえようやろ。それがどんどん大きくなって飛行機の羽のごとなったら“かず君バイバイ”ち飛んで行く」
 「そしたらおふろ入るときぬれろうもん」
 「いや、ぬれん。そんときゃ引っ込む!」

 保育園に行っている孫とのとりひき。孫は私の言うことを本当だと思っている。

 十二月三十一日生まれの上の孫は、クリスマスツリーに点滅する電球を見れば、自分の誕生日を祝っているものと思っていた。弟が産まれる前の年、博多駅近くにある全日空ホテルの前のクリスマスツリーを見た瞬間、「お母さん、きれいね、ロウソクの花」と喚声をあげたらしく、それ以来、「ロウソクの花」がついたら自分の誕生日が近いと喜んでいる。

 紙とハサミとセロテープがあれば、いつまでも遊んでいる孫だ。将来は仕立屋さんかな?

 近所の人から“いちまん君”“かず君”と愛され、保育園から帰ってくるやめいっぱい遊ぶ孫は「ボクのお母さんはキレイ、バアちゃんはかわいい」となかなか良い観察である。このまますくすくと杉の木のようにまっすぐ伸びてと願っている。