二留年男の寂しくもあるけど優雅な昼休み(ノンフィクション)

 午前の講義が早めに終わったおかげで食堂は空いていた。不規則な生活のせいか、最近あまり食欲がわかないらしい。一日朝夜か昼夜の二食になることも多い。でも今日は何故か少し食欲があったので、いつもより1個多めにパンを2個購入、チーズパリジャン(100円)とデニッシュドーナッツ(80円)。コーヒーは香味焙煎(70円)、ミルクと砂糖を少なめに設定。これで優雅なひと(りの)ときを過ごす支度が整った。まあ、留年を2回もやらかすと、こんな感じに一緒に昼食をとる友人もほぼいなくなるわけである。

 火曜のこの時間はいつも晴れているような気がする。左手にさっきのコーヒーのカップ、右手にパンを入れた袋を下げ、そのままグラウンド脇のベンチへと向かう。いつもの指定席の右サイドはすでに先客がいるようなので、少し距離をとって中央より少し左よりの木陰を陣取る。糞が落ちてくると大変なので、まず上方確認。鳥はいないようだ。私は安心してベンチに腰を下ろした。

 チーズとドーナッツ、どっちが先か。一寸真剣に迷ったが、塩気のあるものから先に食べるのが常識だろうと思ったので、チーズパリジャンに決めた。実はいつも、チーズの入っていないノーマルパリジャン(80円)だけで昼食を済ますことも多いくらい、それくらい私はパリジャンファンなのである。今日チーズ入りは初めて口にしたが、これもなかなかいける。しかし20円割高は少々財布にひびく。とりあえずあっさりと一個目を完食。コーヒーをすする、ポケットからタバコを一本取り出し、バッグから本を取り出す。一区切り。

 本のページは順調にめくられる。本を読むことよりも、本を読んでいる自分が好きだ。「あの先輩ってなんか知的な空気持ってるよねー。」とか言われはしないが、一度くらい言われてみたい。そんな架空の視線を背中に浴びながら、インテリ気取りのちょっとしたナルシシズムに浸る。まあしかも、読んでいる本は九鬼周造の著作『偶然性の問題』なのだが、これはおもしろい。西欧哲学の場合、引用する文学は大抵プルーストだとかドン・キホーテだとかドストエフスキーだとかでイマイチよく分からないのだが、九鬼の引用は万葉集だとか源氏物語だとかの日本の古典文学で、これもイマイチよく分かっているつもりではないが、とても新鮮だし親しみやすい。また一区切りついたので、もう一服。

 今度はドーナッツに手をかけた。コーヒーと一緒に半分ほど食べたところで、私は背に視線を感じた。後ろを振り返る。「あの先輩って…」ではなかったが、それは、うちの大学に10匹ほどは同じ柄がいるだろうと思われる、トラ猫のうちの一匹だった。私はドーナッツをちらつかせ、彼をおびき寄せようと試みた。没個性な野郎同士で慰め合って、寂しさを紛らわそうと、私が一方的に彼を誘ったわけだ。彼は素知らぬ顔で、しかしやはり近づいてきた。ベンチの上まで抱え上げ、ドーナッツを細かくちぎってやる。数きれほどお召し上がりになると、どうやら彼は満足したらしく、そそくさとベンチから飛び降りてあっちのほうに行った。私はまた一服した。今日は少し吸い過ぎかもしれない。

 ドーナッツを一口分残してバッグにしまった。また本読みを再開した。しばらくすると今度は、5号館裏のドアの開く音がした。コッ、コッとヒールの音がする。女だなと私は直観した。しかもその足音は私の方へ近づいてくる。「あの…」これは架空の声ではない、まさに現実に女性の声である。何かを期待していたわけではないが、私は即座に後ろを振り向いた。

「あの…ショクドはドチデスカ?」
「……あ。ああ、そこをまっすぐ行くと左手の方に見えますよ。」
「スマセン。アリガトゴザマス。」
「いいえ」

 どうやら、学内食堂を探していたらしい、ベッコウ縁メガネをかけた、少し不自然な日本語を話す中国人留学生だった。この学校にはいろんな生きものが棲息しているようだ。そんな感慨にふけっていたら、もう午後の講義が始まる時刻になっていたのに気付いた。