geijutunoaki

…とは言うが、ここ日本国ではその慣例に従うようにゲージュツイベント目白押しなこのごろだ。先月のミュージアムシティプロジェクトにはじまり、おとといは、たまたまうちの大学でやっていたシュヴァンクマイエル公開講座。やっさんに誘われてあまり期待せずに行ってみたが、『エトセトラ』にはだいぶやられた。ずっと花柄の「2」のタイプが気になっていた。作者、作品の説明が少し長い。彼の『アリス』は前から見たかったのだが、時間の都合で上演されず。それもそうか。講座終了後は、映像酔いのせいか、寝不足のせいか、意識が少し遠のいた。


たちくらみ 〜快楽の秋〜

意識が少し遠のいた──先週、たちくらみで気を失って後ろ向きに倒れてから、ちかごろ意識が遠くなるのがこわくなった。ぼくは、排泄、立ちくらみ、歯磨き中の吐き気は、人間に与えられた快楽のうちに数えているので、それら生理現象がぼくのからだにやってくるとき、ぼくは彼らを歓迎して受け入れ、もてなし、極力じっくりと彼らとのひとときを味わい尽くすことにしている。しかし倒れてからというもの、どうしても立ちくらみへの警戒心が拭えなくなってしまった。それでもたちくらみは待ち遠しい。

急に立ち上がると突然、首からうえのほうを締め付けられた感じになり、息が詰まり、心臓の脈打つ音が、まるで自分以外の何かに聞き耳をたてているかのように自分の耳に届き、目の前の景色が次第に紫色にかわってゆき、クライマックスには、頭のてっぺんから手の先足の先まで、微弱な電流が流れていくようなちりちりとした感覚が全身を走り抜ける。忘我の時間。神の啓示でも受けた心地だ。しばらく放心状態である。

この快楽の共感を求めて、嬉々とした表情で他人にこのことを話すと、少し変な目で見られてしまう。そういうのには慣れているのでどうでもいいが、この「たちくらみの快楽」を分かり合える人になかなか巡り会えないのが残念で仕方ない。

そこのあなた。排泄、立ちくらみ、歯磨き中の吐き気など、これらをあなたが感じるとき、「ああ、いやだな。気持ち悪い。」などと非常にもったいない考え方をしていないだろうか。もしそうなら、あなたは人生の79%(当社比)を損している。明日からは、「ああ、もしかしたら、これって、けっこう気持ちいいかも…。」と、少し立ち止まって自分の身体の可能性を探ってみてはいかがかっ。


王女メデイア 〜演劇の秋〜

意識が少し遠のいた──さっきNHKの芸術劇場でやっていたものをたまたま見たのだが…。他局に比べ、このチャンネルはよっぽど異様な空間だった。芸術劇場は歌舞伎もやっているのでたまに見る。ごく個人的に、カルロス・サウラカルメン』以来の衝撃。

声を演じるspeakerと、動きを演じるmoverの二人一役で演じる宮城聰のユニット、ク・ナウカの『王女メデイア』。明治時代の日本を舞台に、エウリピデス原作のギリシア悲劇『メデイア』が上演されるという、いわば劇中劇作品。この2層の構造が作品に明確あらわされ一本の柱となっていて、見ている側としてはとてもわかりやすい。なんだろう。能のような人形浄瑠璃のような…。演劇に明るいわけではないので、あまり細かいことを言うつもりはない。

でも、言うならひとこと。

「壮 絶。」

あそこまでやるか。3回は息が詰まって泣いてしまった。身もだえながら、今の自分がいかに「幸福」であるか…を語るシーン。単純な言葉の裏返しであるのに、全身全霊でもってこのアイロニーをぶつけるメデイアの様は、ここまで観客の心を打ち砕くものか。ぼくはこういうのにひどく弱いようだ。思い返してみれば、ビョーク主演で話題になった『ダンサーインザダーク』でも、明るく歌を歌いながら処刑台への階段を登ってゆく主人公を見てぼくは大号泣したんだったな。王女メデイアは、衣装、語り、動き、音、どれをとっても、ああ、今年8月に再演されていたなんて、知っていたら是非とも生で見ておきたかった。


テリーライリーがやってくる 〜音楽の秋〜

藤枝先生の関係で老師が来日、さらには来橋(?)されるようです。来月11月21日には、芸工大から歩いてすぐのゆめアール大橋で。これも見逃せない秋の大イヴェントでしょう。学生は当日1000円の模様。タネンバウムも来るって!!…って大橋まで来るのだろうか。